Shared Decision Making (SDM)は、患者の自己決定権を尊重し、個々の価値観や希望を治療に反映させる、理想的な医療のあり方です。
その重要性は広く認識され、実践のためのモデルも開発されていますが、現場への浸透は十分とは言えません。本稿では、SDMの現状と課題を分析し、AIを活用したDecision Aidの可能性について検討します。
SDMの理想と現実:普及を妨げる要因
SDMの普及が進まない主な理由として、以下の2点が挙げられます:
- SDM実践の複雑性: SDMには、最新の医学的エビデンス、効果的なコミュニケーションスキル、患者の価値観を引き出す能力など、多岐にわたる知識と技術が要求されます。Légaré et al. (2018)の系統的レビューによると、医療従事者の時間不足やSDMに関する訓練不足が主な障壁となっています。
- SDMへの心理的抵抗: 一部の医療者は、SDMを煩雑に感じたり、従来の医師主導型の意思決定を好む傾向があります。一方、Levinson らの全米調査によると、約半数の回答者が最終的な治療決定を医師に委ねることを好むなど、全ての患者が医療の意思決定に積極的に参加したいわけではないことが示されています(Levinson et al., 2005)。
AIを活用したDecision Aidの可能性
SDMの普及を促進するために、AIを活用したDecision Aidの開発・導入が有望です。Decision Aidとは、患者の意思決定を支援するツールであり、最新の生成AI技術を活用することで、SDMのプロセス全体を包括的に支援する「パートナー」のようなツールの開発が可能になると考えられます。
例えば、チャットボット形式のSDM補助ツールは、以下のような機能を提供できる可能性があります:
- 患者の症状や状態に応じた治療選択肢の提示
- 各選択肢のメリット・デメリットの説明
- 患者の価値観や希望を引き出すための質問の生成
- 医療者と患者の対話の要約と記録
Stacey et al. (2017)のコクランレビューによると、Decision Aidの使用は意思決定支援ツールは、患者が治療法やスクリーニングの選択肢についてより深く理解し、情報を得たと感じ、自分の価値観を明確にするのに役立つという質の高いエビデンスがあるとされています。AIを活用することで、これらの効果をさらに高められる可能性があります。
AI活用における課題と解決策
AIの活用には、以下のような課題が存在します:
- 個人情報の保護: 医療データは極めて機密性が高いため、強固な情報セキュリティ対策が不可欠です。例えば、データの匿名化、暗号化技術の導入、アクセス制御の厳格化などが考えられます。
- 責任の所在の明確化: AIツールによる提案が患者に不利益をもたらした場合の責任の所在を明確にする必要があります。これには、AIの決定プロセスの透明性確保や、人間による最終判断の原則を確立することが重要です。
- AIの適切な使用: 生成AIの特性や限界を理解し、適切なプロンプト入力など、正しい使用方法を習得することが求められます。
これらの課題に対処するために、以下の取り組みが必要です:
- ツールの利用資格制度の確立
- 詳細なガイドラインの策定
- 医療者向けのAI活用トレーニングプログラムの開発
- 患者への丁寧な説明と同意取得プロセスの確立
AIはあくまで補助ツール
AIを活用したDecision Aidは、SDMを促進する強力なツールとなり得ますが、あくまで補助的な役割であることを認識することが重要です。Ridd et al. (2009)の質的研究が示すように、患者の表情やしぐさから感情を読み取る力、文脈から真意を理解する能力、共感する力など、人間にしかできないスキルはSDMにおいても不可欠です。
AIに過度に依存するのではなく、SDMのプロセスを主導するのは常に患者と医療者であるべきです。AIツールは、この人間同士の対話をサポートし、より質の高い意思決定を実現するための「共同パートナー」として位置づけられるべきでしょう。
結論
SDMは患者中心の医療を実現するための重要な概念であり、AI技術の進歩はその普及を大きく後押しする可能性を秘めています。しかし、AIはあくまで補助ツールであり、人間にしかできない対人スキルもSDMには不可欠です。
Elwyn et al. (2012)の系統的レビューが示すように、SDMは患者満足度や治療アドヒアランスの向上に寄与する可能性があります。AIと人間の協働によって、このようなSDMの利点を最大限に引き出し、真に患者のためになる形で実践される未来を目指すべきです。
今後は、AIを活用したDecision Aidの開発と並行して、その効果や安全性を検証する研究、さらには医療現場への段階的な導入と評価を進めていくことが重要です。SDMの理想と現実のギャップを埋めるために、テクノロジーと人間の英知を結集し、より良い医療の実現に向けて邁進していく必要があります。